あくの猫  ⇔          


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ただ風に吹かれている自分は、どんなに惨めで――――


‖ 遺志 ‖


「変な夢、見たわ…。」

外はまだ暗い。朝はまだ来ない。
市丸は腕に閉じ込めた日番谷に囁く。自分はうとうとと彷徨いながらも彼を離しはしなかったのか。

「どんな。」

時間に相応しい静かな声で訊いてくる。日番谷の視線は自分の鎖骨あたりで定まっている。どうもこの鎖骨から胸にかけての線が好きらしいのだと昔言っていた。
もうそれもいつだったか。

「君が、おらんようなってな。」
「俺が?」
「捕まえんねやけど、『じゃあな』っつって、それきり見えへんようになんねん。」

空は寒々しくなるほど青く、風は吐き気を覚えるほど穏やかだった。
軋むほど折れるほど強く抱いたのに君は絶対の力をもってして自分から逃げていく。そうして立ち竦むしかできない己のみが愚かしい大地に取り残されるのだ。
そうしてただ風に吹かれている自分は、どんなに惨めであろうかどんなに無様であろうかどんなに――

「夢だろ?」
「せや…下らん、何のことはない、夢や。」

しかし普段の夢見にはないこのいやに生々しい感触は感情はなんだろうか。知らず宙を睨み眉間に皺が寄る。

「市丸。」

少し驚いた。日番谷の声が妙に強さを持っていたから。

「それは、」

まっすぐに的確にこちらを捕らえてくる視線。何ものにかにより僅か歪められた表情。

「俺が言いたかったよ。」

どんなにどんなにどんなに。


「俺が、言いたかったよ――市丸。」


なんて静かな
なんて穏やかな

叫びだろうか。


ゆっくりと施されるくちづけに、自分はただ、されるが侭であった。



どんなに――――!!



***



「市丸。」

呼ぶ声に振り向けば、東仙が揺らぎ無く立っていた。

「ああ…もうそんな時間かいな。」
「急げ。藍染様もお待ちだ。」
「はいはい。」

真っ白な机に肘をつく。

「…あー……」

両手で顔を覆えば声が還ってくる。


『なんだ、ただの夢だったのか――って、言いたかったよ。』
『俺は。』
『なあ、そう言えないのは何でだろうな。』
『なあ、』
『市丸。』


あれが夢なら何故これが夢であってはいけないのか。


「とうしろう、」


そうして立ち竦むしかできない。









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夢から覚めても夢だったのだから今もまた夢ではなかろうか。